叶渭渠《日本文化通史》笔记和考研真题详解
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1.2 考研真题与典型题详解

一、次の漢字に振り仮名を付けなさい。

1埴輪(四川大学2009)

【答案】はにわ

2竪穴(南开大学2010)

【答案】たてあな

3縄文

【答案】じょうもん

4弥生

【答案】やよい

5貝塚

【答案】かいづか

二、穴埋め。

1古墳の周りや頂上に並べられている赤土で作った人や家や動物などは_____と呼ばれている。(天津外国语学院2010)

【答案】埴輪

【解析】“埴輪”意为“明器,土俑”,是排列在古坟周围或古坟丘上的一种泥土制品,大致可分为圆筒土俑和造型土俑两类。其中造型土俑有人、动物、房屋等形状。

2縄文時代の人々は_____に住み、その集落の周りには馬蹄形の貝塚と呼ばれる遺跡が残されている。(国际关系学院2012)

【答案】竪穴住居

【解析】绳纹时期的人们居住在竖坑式住居中,周围留下被称作“贝塚”的遗迹。

3紀元前約6500年から始まり、紀元前500年まで続いた文化は_____である。

【答案】縄文文化

【解析】日本绳纹文化的时期大致从公元前6500年到公元前500年。

三、次の答えから正しいものを選び、記号で答えなさい。

1日本の文化の根底となっている縄文文化には、_____などの北方文化の要素と、東南アジアなどの南方文化の要素とが見られる。(东北财经大学2013)

A.北海道

B.シベリア

C.極東

D.ロシア

【答案】B

【解析】日本绳纹文化受到来自西伯利亚的北方文化以及东南亚的南方文化等因素的影响。

2弥生時代に稲作と_____がつたわり、日本列島の各地には小国が並び立つようになった。(北京外国语大学2008)

A.金属器

B.石器

C.土器

【答案】A

【解析】弥生时代大陆的水稻种植技术和青铜器、铁器等传入日本,弥生文化时代是小国分立的时代。

3縄文時代人の精神世界を表すものは何か。(四川大学2008)

A.土偶

B.埴輪

C.古墳

【答案】A

【解析】“土偶”指用黏土制成人和动物的形状,用作念咒的用具、随葬品和玩具等。日本绳纹时代遗迹中出土了大量“土偶”。

4弥生文化時代、どんな技術が日本に伝来したのか。(北京外国语大学2006)

A.採集経済

B.農耕文明

C.国風文化

【答案】B

【解析】日本绳纹文化时期处于采集经济阶段,弥生文化时期大陆的农耕技术传入日本。

5『魏志』「倭人伝」で親魏倭王と呼ばれるのは誰か。(四川大学2008)

A.聖徳太子

B.卑弥呼

C.神武天皇

【答案】B

【解析】《魏志·倭人传》将卑弥呼称为“亲魏倭王”。

6自然物・自然現象に霊威が存在するとする宗教観を何というか。

A.アニミズム

B.極楽往生

C.鎮護国家

D.神仏習合

【答案】A

【解析】“アニミズム”指泛灵论、万物有灵论,相信动植物等自然界所有的东西都有灵魂。

7死者の霊が生者に災いを及ぼさないようにした葬り方を何というか。

A.抜歯

B.土偶

C.屈葬

D.石棒

【答案】C

【解析】屈葬是将死者四肢的关节弯曲起来埋葬的方法。日本绳纹时代多采用这种埋葬方法,据说目的之一是防止死者的灵魂祸及生者。

四、下記の用語を簡潔に説明せよ。

1埴輪(南开大学2012)

【答案】埴輪は日本の古墳時代に副葬土器として特有の素焼の焼き物であり、古墳上に並べ立てられたものである。日本各地の古墳に分布していた。

2土偶(四川大学2007)

【答案】土偶は縄文時代に人や動物をかたどって作られた土製の人形である。その用途をめぐって、呪人形説、豊穣祈願説、崇拝対象説、疾病治療説などがある。

3弥生土器

【答案】弥生土器は弥生時代の素焼の土器であり、煮炊き・貯蔵・食事などに使用される生活用具として生活に密着した土器である。

4邪馬台国

【答案】邪馬台国は「三国志」の魏志倭人伝に記された、2世紀後半から3世紀前半の頃の倭にあった最も強大な国であり、女王卑弥呼によって支配される国とする。

五、次の問題を要領よく答えなさい。

1日本の農耕社会の成立と発展について、要領よく述べなさい。(东北财经大学2013)

【答案】縄文時代末期に稲作は日本列島に導入され、弥生時代に稲作を中心とする農耕社会が成立し、北部九州から本州最北端以北を除く日本列島各地へ急速に広まった。

2縄紋人の社会生活を簡単に説明しなさい。

【答案】

縄文時代において人々は集団をなして生活した。単位集落は早期に10人ぐらい、中後期は数十人規模であったが、住人たちは互いに血縁関係につながっていたと考えられる。すなわち、氏族共同体とも言える形で暮らしていたのである。そして、住居の大きさにはほとんど差がないこと、埋葬が共同墓地で行われて副葬品をほとんど持たないことから、貧富の差や身分の差はまだなかったと考えられている。血のつながりのある人々は共同生活を営み、獲物は公平に分け、道具などは共有であった。

縄文中期を過ぎる頃から、生産用具の改良や生産技術の発達によって、生産力が上昇し、人口は次第に増加した。そのため集落規模が拡大し、分村や同種の仕事を多数の労働力で行う単純協業なども行われた。

3弥生文化の特色をまとめてみてください。

【答案】

弥生文化は水稲耕作と金属器の使用を特徴とし、土器も赤褐色の弥生土器に変わった。青銅器や鉄器の金属器、木材加工用の石斧や稲の穂を刈り取る石包丁などの磨製石器の製作、機織の技術などは中国や朝鮮半島から伝えられたものである。弥生文化は日本在来の縄文文化と中国や朝鮮半島から来た新しい文化とが接触・融合して生み出されたものと考えられる。

水稲耕作は最初北九州まで伝わり、1世紀ぐらいの間に愛知県知多半島の辺りまで伝わった。さらに、弥生中期に東日本、後期には東北地方にまで普及した。つまり、弥生文化は薩南諸島から東北地方まで広がったと考えられた。